2008年5月14日水曜日

5月8日Bible Study報告

Hugh Trevor 著 「What Christian Believe ~クリスチャンは何を信じるか~」 より

第15課 最終章
「我らは......信ず」(ニケヤ信条)  「我は......信ず」(使徒信条)

上記のように複数形と単数形で表現されていることがあります。
「我ら」と複数形を用いる場合:正統派キリスト教会のすべてによって認められている、クリスチャンのすべてが神の啓示された真理と認めていることの表現。
「我」と単数形を用いる場合:救いが他の人々の態度によって左右されるものではなく、個人の信仰にしたがって立つものという表現。


A.てんかん症の少年と不信仰な父 (マルコ9:14-29) 
弟子達は悪霊を追い出すことができず、律法学者たちと論じ合っていた。

父親は半信半疑な信仰で「おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」と言った。そこでイエスは「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」と父親に言われた。
父親は「信じます!」と告白したと同時に、公に自分の信仰の弱さや無さを言い表した。イエスは父親を受け入れられた。  

半信半疑だった父親。どうしてイエスはそれを受け入れられたのでしょうか。 
半信半疑でも父親は「信じていた」。また、自分ひとりでは「信じる」ということができないとわかっていた。(自分の弱さをよく理解していた) 
イエスは「この種のものは、祈りによらなければ」ならないと言っています。祈りによって神の力に頼り信じることができるのです。 
一人では完璧に「信じる」というのは高慢なことで、無理なのことなのです。私たちの信仰には「神の力」が必要です。


B.死にかけている盗賊 (ルカ23:39-43)
ふたりの犯罪人がイエスとともに十字架にかけられていた。 

ひとりの犯罪人  :ののしった 
もうひとりの犯罪人:一人目をたしなめ、神を恐れた
            「自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方(イエス)は、悪いことは何もしなかったのだ。」
             「あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 
イエス        :「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

イエスはその犯罪人に赦しと天における永遠のいのちを約束すると答えられました。
このことから、私たちは次のような救い(永遠のいのちのプレゼント)の条件を知ることができます。
「自分の罪を認め」、「イエスを神と信じ」、「告白した」ならば、救われる。


C.ピリピの看守 (使徒16:25-34)
  ・真夜中にパウロとシラスは神に祈りつつ賛美をし、他の囚人たちが聞き入っていた
  ・大地震が起こり、とびらが全部開き、鎖も解けた
  ・看守はみなが逃げたと思い自殺しようとしたが、みなそこにいて尚且つ「自害してはいけない。」ととめられた
上記の3つのことが起こり、看守は「救われるためには何をしなければなりませんか。」と質問した。

パウロは「主イエスを信じなさい」という条件を出し、「あなたもあなたの家族も救われる」という約束をしました。

回心した看守はパウロたちの打ち傷を洗い、バプテスマを受けた。そしてパウロたちと神を信じたことを心から喜び一緒に食事をした。


D.信じて信仰を告白すること (ローマ10:9-13)
救われるためには「心で信じて、口で公に言い表す」という二つの条件が挙げられています。
神を求めるものはだれでも「救われ」ます。また救われた者は「証人」となり、「失望させられない」という約束があります。

言葉をもって告白することが必要とされているのはどうしてでしょうか。(JUICYであがった意見)
・信仰の友をえることができる
・感情のような感じや雰囲気ではなく、自分の確信や自信へとつながる
・告白したいという与えられた恵み
・信仰を告白することによって「証人」へと変えられる
・信仰には行動が必要。つまり切っても切り離せない関係。


E.イエスは戸をたたかれる (黙示録3:20)
戸とは私たちの心や魂への扉のことです。
     イエスはその戸をたたく→戸を開けたら→中に入り、ともに食事をする
これは、
     イエスはいつも傍にいて、私たちに戸を開けるようにいってくれています。
     →また、信じて受け入れたら、→神との霊的な交わりがあるとも言っています。

神様は私たちが想像している以上の恵みを与えてくださる方です。また、約束を決して破ったりしません。
ですから、これまで学んできた神様と人との約束は破られることはありません。
そのことを忘れず、日々神様と喜んで生きていきたいなと私は思いました。

15課にわたって行ってきたこの本も今回で終わりです。
以前より聖書に関する知識が増えたり、神様のことをもっと知ることができたりそれぞれしたと思います。また、疑問が増えたという人もいるかもしれません。
いろいろ与えられた心や考え(疑問も含む)があるかと思います。これはとてもいいことだと思います。続けて聖書から学ぶことによって私たちは神様を知り、神様との生活を楽しみましょう。

次回からは新しい本を使って学びますが、その中でもより多くの知識や恵みを知ることができますように。また、疑問が少しずつ解決していきますように。


Summary by Mai

0 件のコメント: